富山の近代建築 その2 -小屋平ダム水門塔-
引き続き、黒部峡谷に建つ施設。
・昭和11年(1936年)竣工
・設計:山口文象
黒部峡谷鉄道トロッコ電車の小屋平駅にありますが、この駅も残念ながら乗降はできないので電車からの眺めだけです。
じつは、この施設が山口文象の設計とは知りませんでした。が、トロッコ電車で通るとぱっと目に留まり、思わずカメラを向けたくなる建築。後で調べたら山口文象の設計ということで、この水門塔だけでなくダム全体を設計したようです。先に紹介した黒部川第二発電所はこのダムの水を引いて発電しています。
水門塔は小屋平駅の上手と下手に対に配置されており、どちらも緩いカーブを描いた平面形をしています。この形態が機能に依るものなのか定かではありませんが、いずれにしても周辺の空気を変えるような一種異様な存在感とシュールな雰囲気を持ちあわせている建築です。


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# by beech-beech | 2009-05-18 21:16 | 富山の近代建築
富山の近代建築 その1 -黒部川第二発電所-
富山の建築をいくつか紹介します。

黒部峡谷に建つ発電所。
・昭和13年(1938年)竣工
・設計:山口文象
石本喜久治らと共に分離派建築運動のメンバーだった山口文象のモダニズム建築。
DOCOMOMO135にも選定されています。
黒部峡谷のトロッコ電車・猫又駅近くにありますが、電車は猫又駅に停車しないため残念ながらオープンエアーの電車から望むのみです。
渓谷の中に天から降りてきたかのような白亜のモダニズム。
水平ラインを強調する深い庇とシンメトリーを崩す左側の水平連続窓が印象的、美しいプロポーションです。
アクセスのための丸みを帯びた鉄骨のブリッジも文象さん。
建物は現役、メンテが行き届いている様できれいに保たれています。




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# by beech-beech | 2009-05-17 11:55 | 富山の近代建築
路上観察/集合体 その11 -丸太の表情-
鉛筆ではありません。
丸太材が積まれた風景。
よく見ると30本位が1ユニット。
まだ初々しいユニットや時間変化したユニット。
ちょっと出っ張っているユニットやへこんでるユニット。
均一な断面でありながら豊かな表情。
繊維やワイヤロープのミクロ断面にも見えるフラクタルな集合体。



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# by beech-beech | 2009-05-14 23:32 | 路上観察/集合体
伊東忠太の建築/震災記念堂・復興記念館
●震災記念堂 (現・東京都慰霊堂)
・昭和5年(1930年)竣工
・設計:伊東忠太
・東京、両国
関東大震災の犠牲者を追悼し惨禍を後世に伝えるために建設された施設です。
忠太の代表作の一つ。
ですが、隣に建つ復興記念館の展示をみると、この震災記念堂は当初設計コンペが実施され、1等案は忠太ではなく前田健二郎という建築家。
前田案は何らかの理由で実施されませんでした。
前田案は和風ではなくシンボリックな塔でしたが、忠太には「純日本風建築」が求められていたようです。
とはいえ、やっぱり動物が登場しています。さらに、内部は和風を纏った祈りを捧げるに相応しい教会的空間です。

●復興記念館
・昭和6年(1931年)竣工
・設計:伊東忠太、佐野利器
・東京、両国
震災記念堂の付帯施設として隣に建設された展示施設。
入口上部で四頭の怪獣が廻りを見据えています。
震災記念堂と意匠上の関連性が窺えないのはなぜでしょうか?


↓ 震災記念堂/全景
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↓ 震災記念堂/背後にそびえる三重の塔。基壇部は納骨堂。
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↓ 震災記念堂/屋根には鳥獣が。
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↓ 震災記念堂/上部から降り注ぐ光、列柱、側廊。教会的空間。
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↓ 震災記念堂/椅子のディテール
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↓ 震災記念堂/光の玉を抱える怪獣
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↓ 復興記念館/全景
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↓ 復興記念館/入口上部に四頭の怪獣
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↓ 復興記念館/外壁ディテール
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↓ 復興記念館/2階の展示室は光天井
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# by beech-beech | 2009-05-13 22:25 | 建築探訪
伊東忠太の建築/築地本願寺
引き続き、伊東忠太の建築を紹介します。
●築地本願寺
・昭和9年(1934年)竣工
・設計:伊東忠太
東京・築地に建つお寺。忠太の代表作であり、一目見たら忘れられない建築です。
外部は日本の伝統様式から解き放たれ、インドの寺院建築を想起させます。
当時のモダニズム・ヨーロッパ様式・帝冠式どれにも当てはまりません。
しかも、動物がいっぱい棲んでいます。
説明書きによるとこの動物たちは、仏教説話「三蓄評樹」を取り入れ「物事は全体を見渡すことが重要」という教えに従っているとのこと。いずれにしても、忠太が妖怪的動物たちが好きなことは間違いありません。
本堂内部は対照的に和風様式ですが、これは檀家の反対に遭い和風としたようです。
忠太が当初考えていた本堂の空間とは、いったいどんな空間だったのでしょうか?興味津々です。



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# by beech-beech | 2009-05-10 18:17 | 建築探訪