建築探訪2015/燕山荘本館/今井兼次+高橋貞太郎
燕岳の稜線上(標高2712m)に建つ山小屋。
・昭和12年(1937年)建設
・設計:今井兼次(基本設計)+高橋貞太郎(実施設計)
燕山荘は大正10年に開設で北アルプスの中でも有数の歴史ある山小屋です。
その中心施設である本館は昭和12年(1937年)建設で、設計者は今井兼次(基本設計)と高橋貞太郎(実施設計)だそうです。
今井兼次は建築界では言わずと知れたガウディやルドルフ・シュタイナーをいちはやく日本に紹介した建築家。
高橋貞太郎は今井とほぼ同世代の建築家で、神田錦町の学士会館の設計者。
建設には並々ならぬ苦労があったようで、当時はもちろんヘリコプターはなく人力で歩荷が資材を現地まで運搬。
昭和9年に建設が始まり途中で台風や積雪による倒壊に見舞われ昭和12年に完成。
その後、第一別館・第二別館・新館が昭和31年~48年にかけて増設されています。
文献によると本館の外観は、当時山岳観光の建築意匠にスイス風が相応しいとした流れがありその方向で具現化されたとのこと。
登山路を登りながら見えてくる姿は稜線にそそり立ちアテネのパルテノンのような構え。
そして北に見える燕岳に対して正面性をもたせながら登山者を迎え入れます。
対して西面は稜線上の強烈な風を避けるべく一段掘り込んで身を隠すようにして厳しい環境に対処しています。
今井兼次の描いた1枚の立面図からもその辺りの思考が伺いとれます。

↓ 右手が本館。一段上がって左手が第一別館。
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↓ 登山路から頂を目指すと徐々にその構えが見えてきます
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↓ 燕岳を背にした北側からのアプローチ。基壇に立つような構え。
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↓ 高橋貞太郎が設計した上高地帝国ホテルと共通する意匠。右手の土塁的な地形が強烈な風雨から建物を守る。
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↓ 槍ヶ岳や常念岳方面への縦走の基点となる場所に位置しています
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↓ エントランスホール。右側受付上部の幕板には木刻レリーフ。
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↓ 食堂。ちょうな仕上げの重厚な梁が連続します。
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↓ 第一別館の宿泊スペース。蚕棚形式の2段配置。
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↓ 今井兼次の代表作・日本二十六聖人記念聖堂(長崎) ※1980年撮影
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by beech-beech | 2015-10-11 18:07 | 建築探訪 | Comments(4)
Commented by chichi関本 at 2015-10-11 21:58 x
定本 黒部の山賊の舞台が昭和20年代で、三俣蓮華小屋は掘っ立て小屋同然なのに。
誰が泊まったんだ?
Commented by mawada at 2015-10-12 11:12 x
上高地帝国ホテルができたのが昭和8年で、その4年後にできた燕山荘本館も帝国ホテル・大倉喜七郎が参画して建設されたというから、当時すでに中央から沢山の山岳愛好家が訪れたんだろうね。
燕山荘の食堂に畦地梅太郎の味のある版画が飾られていました。
Commented by zappapa at 2015-10-12 22:15
こんな建物があったんですね。知らなかったです。その今井氏の立面図が見たいなあ。。。。(JZ)
Commented by mawada at 2015-10-14 09:47 x
吉阪隆正さんと同様に山岳系に関わりがあるようで、昭和4年には早稲田大山岳部の針ノ木遭難慰霊記念碑を設計されたそうです。
独立碑ではなく岩崖に直接梵字が彫られたものだそうで氏らしい発想だと思いました。
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